磯田除隊式_20220814_新宿山吹高校前_丸谷希唯撮影
 「日本自治委員会」はどこから来たのでしょうか。日本自治委員会は、2019年5月、都立高校2校、大阪市立高校1校の自治委員会が全国連合組織として結成した団体です。その源流は、校内新聞への検閲・弾圧にありました。(前回はこちら)

 「自由に新聞を作る」ことができなくなった山吹高校。卒業まで6か月を切っていた平松は、大きな決断を下します。2016年10月、第8号をもって「YAMABUKI JOURNAL」を廃刊にすることにしたのです。突然紙面上で「廃刊」宣言が出され、熱烈な読者からは驚きの声が上がりました。

 当時のことについて、平松はこう振り返ります。
 「学校の印刷機を使って新聞を発行するということは、もはや不可能だった。ここは一度撤退し、態勢を立て直し、新たな活動を模索する必要があると感じた。」

 2017年2月、卒業を目前に控えた平松は、ある男子生徒と出会います。彼の名前は磯田航太郎―当時山吹高校1年目の生徒でした。平松は、磯田を後任の「YAMABUKI JOURNAL」編集長に任命し、同紙の復刊を託しました。

 しかし道は想定以上にいばらの道でした。
 新しく就任した新聞部の顧問は、「YAMABUKI JOURNALは生徒会と揉め事を起こしたから名前が汚れている」として、同紙の復刊を認めませんでした。さらに前副編集長が編集局員を引き抜き、新たな新聞を立ち上げる動きを見せるなど、まさに内憂外患の危機的な状況に陥ったのです。
 そして危機はさらに拡大します。磯田が「YAMABUKI JOURNAL」の紙媒体での復刊は難しいと判断し、電子版での活動を始めたところ、生活指導部に記事の削除を求められる事態に発展したのです。避難訓練直後に体育教師数人に取り囲まれた磯田は、生活指導部に連行され、執拗に記事の削除を求められます。
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新宿山吹高校自治委員会HPより(動画はこちら
 当時録音された音声には、生活指導部主任(当時)滝口則次主幹教諭が磯田を「今は俺だけの話にしてるってこの間も言ったけれども、それを全然受け入れないならまた違う方法をとるしかないよ」と恫喝する様子が記録されていました。
 その後、事態はさらに悪化。磯田は両親とともに校長室に呼び出され、「校長説諭」を受けさせられます。校長室では、副校長の藤田豊=現・田無高校校長=をはじめ、滝口らが執拗に記事の削除を迫ってきました。しかも、あろうことかNHKの現役記者を務める磯田の父も教員側につき、学校でも家庭でも連日、磯田を責め立てました。磯田の父は、ジャーナリズムを守ることより教師の権威を守ることを選んだのです。学校でも家庭でも連日にわたり精神的に追い込まれた磯田は、記事の削除と「誓約書」と称する文書への署名を強要されてしまったのです。磯田は、精神的苦痛から学校に登校することができなくなりました。 
20180118_新宿山吹高校_弁護士_磯田_YJより
弁護士を帯同し、新宿山吹高校に入る磯田氏(左)(2018年1月18日、YAMABUKI JOURNAL提供)
 ここに来て平松は、弁護士や都議、メディア関係者と磯田を引き合わせ、磯田の反転攻勢を側面支援します。
 2017年10月、磯田は、弁護士の助言に従い、誓約書への署名を撤回。さらに12月には「YAMABUKI JOURNAL」復刊と新宿山吹高校自治委員会結成を宣言します。2018年2月には、弁護士を連れて山吹高校を訪れますが、副校長(当時)の延味道都は「弁護士同席には応じられない」と回答。しかし後日、履修登録の修正のために磯田が一人で学校を訪れると教員が外まで追いかけまわしてきました。弁護士が同席しない状態で登校することが極めて危険な状態であることは明らかでした。
 2018年4月、山吹高校は磯田が指導に従わないことを理由に授業への参加を認めない措置をとりました。しかしこれは憲法26条で保障されている教育を受ける権利の侵害であることは明白で、学校側の完全なオウンゴールでした。
 平松は、都議会議員の事務所に電話をかけ、行動を要請します。要請を受けた都議の働きにより都教委が授業参加を禁止する対応をやめるよう学校に指導。学校は磯田が授業に出席することを認めざるを得なくなりました。
 こうして学校は、磯田への最後の弾圧手段を失ったのです。当時の「YAMABUKI JOURNAL」電子版(2018年5月11日付)は、「皮肉にも『力による支配』を強行しようとした学校当局は都教委の『力による支配』で敗北した」と痛烈に皮肉り、自治委員会の勝利宣言を伝えています。
 2018年1月、磯田は、Youtubeに投稿した演説動画の中で「小さなところで物を言えなければ社会は変わりません。」と述べ、学校という身近な場で行動していく大切さを訴えていました。まさにその言葉通り1年間闘い抜き、学校側を敗北させたのです。
 その後、新宿山吹高校自治委員会の活動に触発された高校生たちが相次ぎ各地で「自治委員会」を立ち上げます。2018年4月には同じ都立高校の稔ヶ丘高校で、同年5月には大阪市立中央高校で相次ぎ「自治委員会」が結成されました。全国で自治委員会運動が始まったのです。(上原瑞貴・日本自治委員会副議長)

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